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大阪高等裁判所 昭和38年(ネ)889号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人京都市は控訴人に対し、原判決添付目録(一)記載の不動産につき、京都地方法務局昭和二四年六月一三日受付第一三七六八号所有権移転登記の抹消登記手続をなし、かつ、右不動産を引渡せ。被控訴人日本医療団は控訴人に対し、右不動産につき、京都区裁判所昭和一九年一二月二六日受付第一七六五三号所有権移転登記の抹消登記手続をなし、かつ、金三〇〇万円およびこれに対する昭和二七年九月一七日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする」との判決を求め、被控訴人日本医療団(以下医療団という)代理人は主文第一項同旨の判決を、被控訴人京都市代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠関係は、次のとおり付加訂正するほか、原判決の事実摘示と同一(ただし、原判決三枚目裏二行目の「同月二六日」を「同年一二月二六日」と、同じく五枚目裏五行目の「設明」を「説明」と、同じく一六枚目表四行目の「菅河牧太」を「菱河牧太」と各訂正する)であるから、これをここに引用する。

一、控訴人の主張

(一)  原判決五枚目裏一一行目から六枚目裏四行目までに記載してある主張は、本件事案の経過事情がいかに不当不法であるかを明かにし、被控訴人らの信義則または公共福祉の違反、権利自壊による失効等の抗弁が理由なきものであることを裏書きする一事由として主張するものであつて、本件売買の無効事由として主張するものではない。したがつて、これらの事由により本件売買が控訴人協会の行為として成立しないか、または、民法第九三条但書の趣旨に従い無効であるとの従前の主張(原判決六枚目裏一行目の「従つて」から同四行目まで)はこれを撤回する。

(二)  原判決添付目録(二)記載の各物件(以下本件動産という)については、控訴人協会と被控訴人医療団との売買が無効であるため、被控訴人医療団は控訴人に対しこれが返還をなすべき義務があるところ、その後本件不動産は医療団から被控訴人京都市に売却され、医療団は現在その原物を返還することが不可能である。右は被控訴人医療団の責に帰すべき事由による履行不能というべく、控訴人はこれによつて右物件の価格に相当する損害を被むるに至つたのであつて、その額は物価指数の示すところによつても明かなごとく、金一、〇〇〇万円以上に上るのであるが、本訴においては内金三〇〇万円の填補賠償およびこれに対する昭和二七年九月一七日(訴状送達の翌日)から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(三)  被控訴人医療団の同時履行の抗弁に対し、仮りに控訴人が被控訴人医療団に対し原判決添付目録(一)記載の不動産(以下本件不動産という)の売買代金五九万三、五九八円四〇銭の返還義務があるとしても、控訴人は被控訴人医療団に対し、本件動産の引渡不能に基く填補賠償として、その価格に相当する一〇〇〇万円以上の請求権を有するから、控訴人は本訴において右損害賠償請求権をもつて、被控訴人医療団の前記代金債権とその対当額において相殺する。

(四)  本件不動産は現在被控訴人京都市において使用しておらず、空家として閉鎖中である。

二、被控訴人医療団の主張

仮りに本件売買契約が控訴人協会理事長長野仙之助の権限の逸脱ないし濫用によるものであつたとしても、被控訴人医療団はもとよりこれを知る由もなかつたのである。野間正秋(当時京都府内政部長)土屋忠良(同衛生課長)両名ともに被控訴人医療団の代表者ではなく、その一機関にすぎなかつたのであるから、仮りに右両名が悪意であつたとしても、そのことから被控訴人医療団が悪意であつたということはできない。

三、被控訴人京都市の主張

(一)  控訴人と被控訴人医療団との間の本件売買契約が有効のものであること、およびかりに無効であるとしても、控訴人においてこれが無効を主張し得ないものであるとの点について、被控訴人医療団と同一の主張をする。

(二)  被控訴人が現在本件不動産を使用せず、閉鎖中であることは認める。

四、証拠関係(省略)

理由

一、控訴人が明治三一年安藤精軒らによつて設立された「施薬院」と称する病院にはじまり、大正一三年五月一日財団法人となり、翌一四年二月三日主務官庁の設立許可を受け、創立以来「博愛慈善の趣旨に基づき病傷者を救治療養すること」をもつてその目的として、右病院(昭和一六年「厚生病院」と改称)においてもつぱら貧窮傷病者の治療を行つてきた特殊慈善医療団体であり、被控訴人医療団が、昭和一七年六月、同年法律第七〇号に基づき設立された法人であつて、全国各都道府県を単位として支部を設け、当該都道府県の知事及び内政部長をそれぞれ支部長及び副支部長とするほか、各支部の役職員に当該都道府県の職員をあてていたが、昭和二〇年法律第一二八号によつて解散し、目下清算中であること、昭和一九年一〇月一一日控訴人から被控訴人医療団に対して、当時前記厚生病院の敷地及び建物の全部である原判決添付目録(一)記載の不動産と同病院の備品器具等(控訴人は原判決添付第二目録記載の物件であると主張するが、その品目数量には争いがある)を代金合計七〇万二二三円五八銭(不動産の代金五九万三、五九八円四〇銭、動産の代金一〇万六、六二五円一八銭)で売渡すことの売買契約(本件売買契約)が成立し、控訴人から被控訴人医療団への売却物件の引渡しと不動産についての所有権移転登記がなされたこと、ならびに、被控訴人医療団が、前記解散後の昭和二三年六月一五日に右動産類のうち当時残存した物件を、次で翌二四年二月四日右不動産を他の医療団の所有財産とともに被控訴人京都市に売渡し、該不動産につき右売買を原因とする所有権移転登記を経由したことは、目的物件たる建物の一部の存否と動産の品目数量につき部分的な不一致があるほか、大筋においては控訴人と被控訴人医療団との間において争いがなく、被控訴人京都市との関係において争いのある部分は、右医療団との間で争いのないことによつてこれを認定する。

二、控訴人は、控訴人と被控訴人医療団との間でなされた前記厚生病院の敷地建物及び備品器具等の売買契約は、控訴人協会の目的の範囲外の行為であつて無効であると主張するので、以下この点について判断する。

(一)  本件売買契約当時における控訴人協会の寄附行為によれば、控訴人協会の目的は、「博愛慈善の趣旨に基き、病傷者を救治療養すること」にあり、この目的を達成するため、「一、病院を設け、主として資力乏しき患者の救療を為すこと、二、官公署又は篤志者の委託に依る患者を診察すること、三、医療保護に関する法令に依る事業、四、医療に関する調査研究其の他必要なる事業」の四種の事業が定められていたことは当事者間に争いがなく、当時控訴人協会は本件売買契約の対象となつた厚生病院を唯一の基本財産とし、他には運営財産として若干の有価証券と現金を保有するにすぎなかつたことは、原審証人菱河牧太の証言と同証言により真正に成立したものと認むべき甲第二一号証によつて明かなところである。してみれば、本件売買契約は控訴人協会の目的事業である病傷者の救治療養に供する主たる財産である厚生病院の土地建物及び備品什器等の一切を売却処分することにあり、これにより控訴人協会は右代金相当額の流動資産のみを擁する法人と化する結果となるが、そもそも、財団法人はその寄附行為に定められた目的達成のため供せられた財産に法人格を付与されたものであるから、かかる目的事業の即時不能を招来するごとき行為は、他に別段の事情のない限り、原則として目的の範囲外の行為として無効というべきである。

(二)  被控訴人医療団は、当時控訴人は前記厚生病院の敷地より更に広大な土地を購入して、仮称「健康学園」の設立なる新目的事業を追行すべく、本件動産および不動産を売却したのであつて、本件売買承認決議と同時にその寄附行為を変更し、従来の目的に国民保健に関する事業を追加することを決議し該寄附行為の変更は昭和二二年三月二〇日京都府知事の認可を受けたのであるから、本件売買は控訴人協会の上叙新目的事業を遂行するための行為であつて、その目的の範囲内に属すると主張する。

当時、控訴人協会においては、非公式ではあるが本件売買以前から主事高橋重蔵が仮称「健康学園」の建設のための目論見書を作成し、会長長野仙之助も右新事業を行うため新田辺に八、〇〇〇坪の敷地を買入れるべく、手付金を交付していた(ただし、該敷地の買収は後日理事会で否決された)こと、右の新たな事業の計画に伴つてその寄附行為を変更すべく、昭和一九年二月一四日開催の評議員会において、本件売買承認の決議とともに、控訴人協会の寄附行為を変更してその目的に国民健康に関する事業を加えることを決議したこと(この変更決議が無効でないことは、この点について原判決が説示するとおりであるから、これを引用する)は、原審証人長野仙之助同野間正秋(第二回)原審および当審における証人高橋重蔵の各証言と右証言に照して成立を是認すべき乙第一号証の一同第二号証によつて認められる。しかしながら、右寄附行為の変更については前記昭和一九年二月一四日の変更決議の当時、その効力発生に必要な主務官庁の認可に関する手続がとられず、昭和二一年二月四日付申請に基づき同年三月二〇日になつてはじめて主務官庁たる京都府知事の認可を得たものであることは控訴人においてこれを自認するところであるから、前記健康学園の経営の新事業のために本件動産及び不動産を売却することが控訴人協会の目的遂行行為に当るかどうかは、上叙京都府知事の認可による変更以前の寄附行為に記載された目的によつてこれを決すべきである。したがつて控訴人の右主張は採用できない。

(三)  そして、控訴人協会が創立以来「博愛慈善の趣旨に基き傷病者を救治療養すること」をもつて唯一の目的とし、その経営する厚生病院において専ら貧窮傷病者の救治療養を行つてきた特殊慈善医療団体であることは、前段説示のとおりである。これに対し成立に争いのない甲第二三号証、原審における証人高橋重蔵の証言により真正に成立したものと認める乙第二号証によれば、そのいわゆる新事実なるものは、「戦時国策ノ重点ガ健民健兵ニ置カレルニ際シ、本会モ単ナル医療事業ノミニ局限セズ、国民保健部面ニモ進出シテ国策ノ要急ニ順応」する目的で、仮称「健康学園」を建設し、病弱虚弱青少年の養護、育成、療養、精神薄弱青少年の鍛練強化ならびに不良青少年の練成、指導、治療等を意図したものと認められる。してみれば、国民保健の新事業なるものは、控訴人協会の基本目的たる特殊慈善救療事業とは、無関係な、むしろ異質なものであることが明かであるから、右新事業遂行のためになされた本件売買は控訴人協会の目的の範囲を逸脱したものとして無効というべきである。

(四)  右の認定に反し、本件売買が有効であるとする被控訴人らの主張(原判決一一枚目裏一行目から一二枚目裏二行目まで)はいずれも独自の見解に出たもので、当裁判所の採用しがたいところである。

三、ところで、被控訴人らは、かりに本件売買契約が控訴人協会の目的の範囲外の行為として無効であるとしても、現在右の無効を主張して本訴請求をすることは、信義誠実の原則に違反するものとして許されないか、または、右無効を主張する権利はいわゆる権利自壊作用により失効していると抗争するので以下右の点について考えてみるに、

(一)  本件厚生病院の土地建物及び備品什器等その施設の売却に関する控訴人協会の評議員会の決議が、その決議に至る過程において多少の瑕疵はあつたとしても、これがため該決議を無効ならしめるものでないことは、この点につきさきに引用の原判決が説示するとおりであり、したがつて、本訴は控訴人において、本件売買が控訴人協会の目的の範囲外の行為として無効であることを理由として売買の目的物の返還またはこれに代わる損害賠償を請求するものであるところ、かかる目的の範囲外の行為をあえてしたのはほかならぬ控訴人であり、評議員会において右売買の件を可決すると同時に、これがための寄附行為変更の決議をもしているのであるから、その後遅滞なく右変更についての認可申請手続をとつていたならば、本件売買が右の変更された目的遂行のための行為として有効のものとなる可能性もあつたのに、かかる手続をなさずして放置したのも、また控訴人自身にほかならない。

(二)  原審証人松永周三郎同池谷伊助(以上いずれも第一回)同太田長次郎の各証言ならびに弁論の全趣旨によれば、被控訴人医療団は終戦後その解散に際し、高橋重蔵を通じ、控訴人協会に対して本件物件の買戻しの交渉をなしたが、同人は控訴人協会には現在資金もなく病院経営の意思もないとして、右申出を断わつたこと、そこで被控訴人医療団は上叙の如く地方公共団体たる京都市にこれを譲渡したものであること、被控訴人医療団は控訴人から本件動産および不動産を譲受けて以来、病院としての施設の拡張及び設備の改善を行い、これを被控訴人医療団から譲受けた被控訴人京都市においてもさらに設備を拡充して京都市中央病院としてこれを経営してきたのであつて、控訴人から本訴が提起された昭和二七年八月二九日までに医療団が譲渡をうけた時から満七年一〇箇月京都市が譲渡をうけた時から数えても満三年六箇月が経過して、建物のうちには朽癈滅失したものがある一方増築による新たな部分が加えられたことが認められる。

(三)  控訴人は本訴提起前、控訴人協会の元理事日下毅一が終戦直後の進駐軍に対し本件売買に関する不正事実の上申交渉等をなしており、当初より本件動産および不動産の返還に努力を継続してきたと主張するけれども、かくのごときは控訴人より被控訴人らに対する適法な権利実行行為とはなしがたいから、控訴人としては、本訴提起に至るまで満七年一〇ケ月余にわたつて、その権利を行使しなかつたといつて差支ない。のみならず、前認定のごとき被控訴人京都市への転売の経緯からしても、右の転売に当つては被控訴人ら両者とも、控訴人から本件売買の無効を理由とする権利行使がなされるなどとはつゆ思わず、かつこのように信ずるにつき正当の事由があつたものといつてよい。控訴人は、当時本件売買につき買主側の被控訴人医療団京都府支部の責任者は京都府内政部長または衛生課長等が兼務しており(当時は法人に関する認可事務をも担当)、控訴人協会において当初から本件売買に反対していた元理事日下毅一が同人らに陳情を試みている経過からみても、被控訴人医療団は本件売買の違法に関し通謀したか、少くとも悪意であることは明白な事実であり、控訴人協会の目的事業を知悉しながら、監督の要請を無視放置したものであるから、取引上善意の相手方保護の原則を適用すべき場合ではないと主張するけれども、前記内政部長または衛生課長に対する日下毅一の反対陳情があつたからといつて、これをもつて直ちに右の者らが控訴人協会の本件目的範囲外の売買行為に通謀したとか、またはその無効であることにつき悪意であつたとは一がいに断定できず、他にこれを認めるに足る確証がないので、右主張は採用できない。

(四)  かくして以上認定の諸事実からすると、控訴人協会は被控訴人医療団に対する本件厚生病院の施設の売却が、当時の控訴人協会の寄附行為によつて定められた目的の範囲外の行為であることを知りながらこれをなし、しかも、右売却に伴なう寄附行為変更の評議員会の決議を経ながら、これが認可申請の手続をとることなく放置してみずから右売買を無効とする結果を招いたものであつて、本訴は、控訴人において右の如き自己の怠慢による売買行為の無効を原因として自己の利益を図らんとするものというべく、右売買の時から本訴提起の時までにすでに七年一〇箇月を経過してその間本件物件は被控訴人医療団から第三者たる被控訴人京都市に転売されるに至つたのであつて、右被控訴人ら両名とも控訴人において当初の売買の無効を主張してこれに基づく権利行使をする如きことはないものと信じて右の転売を行つたものであり、かく信頼するにつき正当の事由があるものというべきであるのみならず、控訴人から医療団への売却後、その目的物件にも増減変化をきたすなど事情の変更が生じているのであつて、かかる状況のもとにおいて、控訴人が本件売買の無効を主張して右売買物件の返還または返還に代わる損害賠償を請求することは、信義則上許されないものというべきである。

四、以上の次第であるから、控訴人の本訴請求は失当たるを免がれず、これを排斥した原判決は結局において正当で、本件控訴は理由がない。

よつて、本件控訴を棄却し、控訴費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

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